更新日:2011年9月27日



【今日のお題は・・・】購入単位をもっと小さくして欲しいのです。
在庫の削減活動を進めていくと、調達リードタイムが長いことの他に、部品の購入数量の単位が大きすぎるといった問題に直面する。 たとえばある部品を10個しか必要としないのに、100個単位でなければ売ってくれないといった例である。 仕方がないので言われるままに調達をした結果、残った90個は捨てる羽目になってしまう。 その結果、購入するときの単価は安くても、最終的には原価を押し上げてしまうことになっているのだ。

長期間保管しておける場合はまだましだ。倉庫のスペースさえ問題にしなければ、いつか必要になる場合があるかもしれない。 しかしながら食品工場のような場合はそれが成立しない。 いったん封を切ってしまうと、残ったものはその場で捨てるしか方法はない。 環境問題がこれだけクローズアップされているのにも関わらず、決して少なくないエネルギーを注いだ加工品が廃棄されてしまうのである。

確かに生産の立場から見ると経済的に見合う数量というのはあるし、輸送コストも馬鹿にはできない比率を占めている。 だからといって、この問題をここで終わらせてしまってはいけないのではないか。今までがこうだったからといった発想をいったん捨てて欲しい。 顧客が必要としている数量に応えられる方法だって、みんなの知恵を出し合えば必ず見いだせると思うのだ。

【今日のお題は・・・】ジャス・トイン・タイムは顧客のためにあるのではないのか?
高速道路を走行中にフロントガラスに石が当たり、「ガツン!」という大きな音がした。 そこには、小さいけれど蜘蛛の巣の形をしたヒビが入ってしまっている。 自動車を購入したディーラーに持って行ったところ、ヒビが裏面まで及んでしまっているから、放っておくと進行していくため危険だという。 そこで、フロントガラスを交換してもらうことになった。

「部品の納期を確認しますが時間がかかるかもしれません」とディーラーの担当者に言われた。 それでも、私が車を購入したのは2年半前で、型式も古くはなっていないから、そうはいっても翌日くらいには回答があると思っていた。 しかし、待てど暮らせど連絡が入ってこなかった。 「修理に2日間必要です」と言われたから、どうやって車を空けようかと思案していたのに、そんな私の気持ちはどこかで空回りしていたようだ。

ジャス・トイン・タイムとはいったい何なんだろうかと考えることがある。 この車を購入したときも確か2ヶ月以上待たされた。 今回なんか、走行中にフロントガラスが割れてしまったなら大きな事故につながってしまうのに、このような現実と生産との同期までは取れてはいないようだ。 結局、納期の回答が遅くなってしまったため、2日間のスケジュールを確保することができないことも手伝って、修理したのはそれから1ヶ月後になってしまった。             

【今日のお題は・・・】改善現場には社長にも立ち会ってもらおう!
現場で「ムダ取り」を実施する場合は、その作業をはじめから最後まで実際にやってもらい、 それを横にいて観察することにしている。 ある製品の製造原価が高すぎるとか、作業に時間がかかりすぎるとか言われても、 その原因がわからない限り対策案を打ち出すことが出来ない。 まずは事実を客観的に把握することが必要であり、それから総合的な判断をしようと思うからだ。

中小企業の場合は、できるだけ社長にその場に立ち会ってもらう。 なぜかというと、現場がよかれと思って実施したことが、社長の一声でひっくり返ってしまう例を何回も見てきたからだ。 こういった場合、改善がストップしてしまうだけならばまだいい。 困ってしまうのは、担当者が新しいことにチャレンジしなくなってしまうことが十分考えられることだ。 担当者の実力が向上して、何が正しいのか正しくないのかの判断が出来るようになればなるほど、 そのダメージは大きなものになってしまう。

経営数字というのは、日々の行動の積み重ねの結果である。 数字としての実績が伴わないのは、そのプロセスに問題があるのにもかかわらず、なかなかそこまで入り込もうとせず、 短絡的にいい悪いの判断をしてはいないだろうか。 そんな社長のもとでは、失敗のリスクを恐れるあまり、チャレンジしようとする社員がいなくなってしまうのである。

【今日のお題は・・・】くたばれ!今までの役に立たないISO。
私が初めてISOと出会ったときに感じたことは、こんなものを各企業が導入したならば、 日本の国は滅んでしまうのではないかという危惧であった。審査の場で審査員が質問する内容が、 品質マニュアルや規程類のどこかに表現されていれば、その場での審査はクリヤーできた。 意味があるのだかないのだかわからない記録を、取り続けなければならないことにも抵抗があった。 ISOの運用をきちんとしていれば品質が向上するなどという幻想は、私の場合は最初から抱いてはいなかった。

何よりも心配だったのは、企業の運営が建前論中心の、事実に根ざしていない、形式的なものになってしまわないかということだった。 毎日繰り返して実行されている本質とはかけ離れた行動から、意識さえもが現実を直視しないものになってしまうのではないかと思っていた。 そしてその危惧や心配は現実のものとなってしまった。

私は、ISOがこうなってしまった責任はむしろ企業の側にあると思っている。自分たちの生活がかかっている品質問題に対して、 どこかで妥協してしまったことがありはしないかということだ。ISOに振り回されること自体主体性のなさの表れだ。 今、社会問題とまでなっているISOのあり方を、ここできちんと問い直さなければならないのではないだろうか。

【今日のお題は・・・】品質保証部の担当者は誰から給料をもらっているのか?
自分の給料はどこから出ているのかなどと考えてみたことがあるだろうか。 会社から出ていることには間違いないが、その原資は何によって生み出されているのかということである。 つまり、自分自身の付加価値生産性を、一度追求してみて欲しいのだ。

会社が存在すれば必然的に品質保証部は必要だから、 製品の価格に上乗せされていますなどという答えでは、 このテーマの本質を突いているとは言えない。 うがった見方をすると、不良が発生することによって新たな仕事が生まれるのだから、不良が多いことが、 そしてその処理をすることが存在価値であるなんてことになってしまう。 不良が多いことが歓迎される品質保証部であっていいはずがない。

それでは、設計や製造部門が品質保証部の給料を賄ってくれるのであろうか。 もしそんな構図が成立するとするならば、設計も製造も経費負担を少しでも軽くするために、 品質保証部には依存せずに不良に対処していくであろう。 すでに組織が出来上がっているから、品質保証部に何かを依存しているだけである。

品質保証部の任務は不良をなくすことである。 それは、不良が減ることによって、自らの存在も縮小されていかなければならないことを意味している。 いつかは消滅させるべき組織の一員であり、それに向かって努力しているのだなんて考え方ができれば、 もっと日常の行動の質を問い直さなければならないはずだ。

【今日のお題は・・・】張り詰めた雰囲気が緊張感なのか萎縮なのかを見抜け!
私が少しずつ改善の成果を上げはじめると、「もっと厳しくやれば結果が早く出るのに」といった声が、 外野から聞こえてくるようになる。ではその声を発した人が何をやっているかというと、 相も変わらずビジョンを伴わない仕事を部下に押しつけているだけだったりする。 きっとその人は、自分は仕事に対して厳しい態度を取っているのだと思い込んでいるのだろう。

緊張感が維持されている職場と、社員が萎縮してしまっている状態とが、 一目見ただけでは判別することができないから困ってしまう。 緊張感は、テーマなり目標が現実の行動と一致しており、 何が何でもそれを達成しようとする気持ちが職場に充満することによって生まれるのに対して、 萎縮は、表面上はやる気を見せてはいるがそれが本心からのものではないから、 体裁を整えるために作り上げてしまっている雰囲気である。

緊張感も萎縮も、それが醸し出される元を作っているのは、その職場の部門長の姿勢なのだ。 ところが、萎縮の場合は、その部門長には都合のいい部分しか伝わってはこないから、 社員が抱え込んでいる問題がなかなか見えてはこない。 そして、仕事の上では何ら実力を身につけてはいないイエスマンが闊歩しはじめ、それが機能的な組織作りを疎外していく。 だから、部門のトップは、自らの「厳しさ」の質を問い続けなければならないのだ。

【今日のお題は・・・】コンピュータにへばりついていれば仕事が進むのか ?
情報伝達の手段として社内にコンピュータを使ったメールの体制が整えられた当時は、 なんて便利なものが導入されたのだろうかと思ったものだ。 それまでの紙を使った方法に比べ、自分の机に居ながらにしていろいろな処理が出来ることは画期的なことであった。 しかしながら、次第にメールの数が増えていくに従って、 届いているメールを小刻みに開かないと仕事が処理できなくなってしまった。

その結果、ほとんどの間接作業の人たちが、自分の机に備え付けられたコンピュータに向き合っている場面が当たり前の光景になってきた。 ソフトウエアを作成したり、CADを使って図面を描く作業ならわかるのだが、 それ以外の人たちまでみんながコンピュータの画面を睨んでいて、 本当に仕事が進んでいるのだろうかと疑問を抱くのは果たして私だけであろうか?

私が懸念しているのは、ひとつは管理者が現場に足を運ぶ回数が減ってしまうのではないかということ。 もうひとつは、端から見て仕事が「進んでいる」かどうかが見えなくなってしまっていることである。 コンピュータは仕事を実行する上でのツールでしかないのに、コンピュータが主人公になってしまっており、 コンピュータに向き合っていれば、いかにも仕事をしているような雰囲気を醸し出せてしまうのも困ったことだ。

【今日のお題は・・・】在庫状況を見ながらの営業はやめてしまえ!
ある会社の「在庫管理システム」は、営業サイドが工場にある製品の在庫状況をイントラネットで見られるものであった。 ところが、受注生産に切り替えていくにしたがって、そこに表示される製品の在庫数量が極端に少なくなり、 次第にゼロを示すものが増えていった。それが、営業にとっては不安材料のひとつになっているというので、 在庫数量の提示そのものを廃止してしまった。

在庫数が示されていると、必ずそれを予約しようという動きが起こる。 まだ受注が決まってもいないのに、在庫品を自分の分として確保しておこうとするのだ。その結果、製品在庫はいっぱいあるというのに、 実際に出荷できる分がなく、緊急で製造しなければならないような事態が発生する。 このことも、本当の顧客の希望納期をぼかしてしまっている一因になっていた。

  在庫数量を営業に対して開示しないのは、どんな納期に対しても対応できる工場にしますという宣言である。 受注生産に近くなるにしたがって、市場の変動の波にもろにさらされることになるが、 それを受けて立つことができる強い工場にしていきたいのである。そのためには、市場の要求を加工することなく工場に伝えてもらうことが、 体制構築のための第一ステップになるのである。

【今日のお題は・・・】言い訳をしていたのでは「納期」など守れない!
私ごとで恐縮であるが、2006年9月に単行本を出版した。出版の企画が会議で正式に決まったとき、 私は癌の手術をするために病院に入院していた。1ヶ月も仕事を休むのだから、執筆をする時間は十分とれるだろうとそのときは思ったのだが、 闘病生活はそんなに甘くはなく、何も出来ないまま日々が過ぎていった。

編集担当者から「森田さんの意気込みを聞かせてください」と連絡があったのは、 原稿締め切りの1ヶ月半前だった。もし無理ならば、9月の刊行を延期しなければならないというのだ。 私自身の原因によりみんなに迷惑をかけたくはなったから、「何とかします」とそのときはお答えした。 しかしながら、逆算していくと、1日に3テーマずつ仕上げていかないと納期を守ることが出来ないことになる。

その日の仕事が終わると車で200kmほど移動し、着いたホテルで夜中までパソコンと向き合うことになった。 母が入院した病院で付き添いにあたったときには、暗い待合室の照明の点灯を1カ所だけ許可をしてもらい、 眠い目をこすりながら自分で決めたノルマを消化するまでは眠りにつくことはしなかった。 その母の病状も悪化し、葬式では喪主としてすべてを仕切らなければならない立場であった。

言い訳をしようと思えばいくらでも出来たし、まわりの人は認めてくれただろうけれど、 それをしてしまえば自分自身の存在価値はそこでなくなってしまうと思った。なぜならば、納期は守るためにこそあるのだから。

【今日のお題は・・・】「強者の論理」になってはいけないのだ!
ネジの問屋さんに勤めていた友人が、今日の午後1時に納品する商品だといって見せてくれたものは、ビスが5本ずつ袋詰めされたセット品がたったの20袋だけだった。 「いつもこんな状態なのかい?」と質問すると、「これはさすがに少ない方だけれど、こういった形態のものを1日に4回納入するパターンになっている」との答えだった。

「それで利益が出るの?」と次に質問すると、「その会社は地元では大手だから、取り引きをしてもらえるだけでありがたい」との回答が返ってきた。 小刻みな納入に対するコストアップ分を価格に反映させているわけではないから、そのネジ屋さんだって利益を出さなければならないとなると、 その大手の会社でロスしている分をどこかで補填しなければならなくなってしまうはずだ。

このように、独りよがりの生産システムになってしまってはダメなのである。供給先や外注先も、生産場所が違っているというだけで工程としては全部つながっている。 ある部分だけの最適を図るだけでなく、全体を通した最適の条件を追求していかないと、本当のコストメリットは見いだせないはずだ。 とかく「強者の論理」というのは、どこかにしわ寄せを生じさせてしまうことを、肝に銘じなければならないのだ。

【今日のお題は・・・】 管理はムダ、管理はしないようにするのがいちばんいい!
工場が掲げるスローガンの中に、「管理能力の向上」などというものがある。 そのためには、社員に基礎能力を身につけさせなければならないから、教育のカリキュラムが必要だとの方向付けがされる。 そして、いろいろなセミナーに参加させたり、社内で講習会を企画したりして働きかけをしていくのだが、それがちっとも身につかないなどと嘆げいていることはないだろうか。

「管理はムダだ」と定義することができれば、実体の伴わないスキルなど身につけさせようとはしないのだろうに、 曖昧なものをすべて解決させるためには「管理」が必要になってきて、それには一定の技能がなければできないなどと発想してしまうと、 仕事はだんだん難しくなりときには泥沼にはまってしまうようなことにもなりかねない。

いつも、「管理」をしないようにするためにはどうすればいいのかといった視点で、身の回りに起きている事象を眺めてみよう。 近くに寄って見つめてしまうのでは全体像は把握できないから、少し遠くから客観的に眺めてみるのである。 事実がきちんと実態となって現れるようにすれば、誰だって判断できるようになる。 その条件を作り出すためには、「管理」などという不確かな表現は今後使わないようにすることである。

【今日のお題は・・・】手段と目的を履き違えてはいけない!
会社を長く休んでいた人に対して、「もうあなたの机はなくなっているんじゃないの?」などという冗談を言うことがある。 そのくらい、個人机というのは、会社の中に築き上げたその人の領分みたいな存在になっている。 したがって、その個人机を撤廃するなどという提案をすると、みんなが顔色を変えて反対してくるのだ。

ある会社で、生産現場に立ち作業を導入するときに、それに同期を取るかたちで間接部門の人たちにも立ち作業を押しつけたケースがあった。 社員全員が改善のポリシーを精神的に共有する目的としては有効な部分もあるかもしれないが、座ってやった方が効率がいい作業まで立たせてやらせるのは、ムダ取りの範疇を越えてしまっている。

立ち作業というのは手段であってそのこと自体が目的ではないと同じように、個人机を撤廃するのも問題を顕在化させるひとつの方法なのである。 管理者が、部下に対してなぜ実施しなければならないのかを説明し納得させられないようだと、このようなダイナミックな展開は必ず失敗してしまう。

何事も現状維持の方がはるかに楽であるし、まわりに対して波風を立てることをしなければ、毎日を平穏に過ごすことができるのかもしれない。 でも、その波風をわざわざ発生させないと、固定化してしまった現状を変えていかれない場合が多いのだ。

【今日のお題は・・・】調達条件の見直しを断行すべし!
 コンビニエンスストアができてから、モノを買う立場の人たちの価値観が変わってきた。まず、 生活にとりあえず必要なモノはほとんど取り揃えられていること。あの小さな店舗にいろいろな アイテムがぎっしり詰まっている。次に、24時間いつでも欲しいものが手に入ること。そして、飴 玉1つの単位でも買えること。たとえその単価が10円であったとしても、「100円分まとめて買っ てください」とは言われない。

 コンビニがここまで普及したのは、お客さまがそれまで抱えていた要求に応えることができた からだ。つまり、「欲しいモノを、欲しいときに、欲しい数だけ購入したい」顧客の要求に合致した 営業形態なのである。部品メーカーがなぜそれに取り組まないのだろうか? セットメーカーと 部品メーカーとの関係はいつまで経っても形としては売り手市場で、お金を払っている側が自 分たちの希望を受け入れてもらうために、お願いしながら調達しているという変な現象が起き ている。

 これを突き崩す方法は1つしかない。部品のアイテム単位でどこかの1社が、従来の販売方 式を顧客主導型に切り替え、それを実現できる生産方式を取り入れることである。そのために は、乗り越えなければならない壁がいくつもあるが、そのことに挑戦する部品メーカーが出現 することを切に望んでいる。